きずな
神戸大学 フランシスコ ワン(アルゼンチン)
絆とは、人と人との絶つことのできない繋がりです。より深く強く生きるものだと思います。 私の両親は25年くらい前に仕事関係で台湾からアルゼンチンへ移住することを決めました。私はアルゼンチンで生まれ、現在、台湾・アルゼンチン両方の国籍を持っています。
小さい頃から首都のブエノスアイレスの日本人学校で、スペイン語、英語と平行して日本語の教育も受けました。母親にはよく日本語の勉強を頑張りなさいと言われました。その時の自分は何となく母親の期待に応えようと一生懸命に日本語の勉強をしました。しかしなぜそうしないといけないのか、全く理解できませんでした。
高校卒業後、日本の大学を目指して一生懸命頑張りました。3度目の挑戦でようやく日本の国費留学のチャンスを掴むことができました。合格発表の日、誰よりも喜んでくれたのは母親でした。日本への留学経験や日本に旅行すらしたことのない母親はなぜこれほど日本のことに憧れて、日本の教育、文化にこれだけの信頼を寄せているのか、アルゼンチン生まれの私には全く分かりませんでした。しかしその理由が日本に来てからやっと分かったような気がします。それは台湾と日本の間に強い絆があることが実感できたからです。 ちょうど一年前に東日本大震災が発生しました。震災後、世界各国から支援が寄せられましたが、その中で台湾から送られてきた義援金に多くの日本人はびっくりしたはずです。それは僅か1ヶ月で、官民あわせた義援金が140億円を突破していたからです。義援金以外にも見舞いの言葉を送り、緊急物資などの支援も台湾が行っていました。
台湾の政府は、台湾の支援が、99年の時の台湾大地震、3年前の台風豪雨被害の時に台湾が受けた援助への恩返しだと説明しています。恩返し感謝の心が台湾と日本の絆をより一層強くしたと感じました。
もちろん日本の人々も感謝の気持ちを忘れていません。当時、政治的な配慮などの理由もあり、日本政府は台湾以外の国、アメリカ、韓国、中国等に政治的にお礼を送りました。これに対して日本国民の中で、やはり台湾の人々にちゃんとお礼したいという声が圧倒的に高まり、ある有名デザイナーの呼びかけをきっかけに発足した「ありがとう台湾プロジェクト」がインターネットを通じて多くの支援を集めることができました。そして去年の5月3日に台湾のほとんどの新聞紙に「ありがとう台湾」という感謝の広告が掲載されました。これを読んだ台湾の人々は、心が温かく包まれました。
実は過去を振り返れば台湾は日本に約半世紀に渡って植民地にされた歴史があります。しかしこの50年間に台湾の人々は日本に対し抵抗を示しつつも、徐々に日本文化の浸透を許し、文学等の面で台湾独自の文化を見出すことができました。これは否定できません。そして実は日本はダムや縦断鉄道の建設、都市、ライフラインの整備、学校教育の普及を行うことによって、台湾の近代化を推進したという事実もあります。それに対して多くの台湾の人は、すごく感謝していると思います。
絆の原点は運命によるものかも知れませんが、その絆、繋がりをより強いものにしたのはやはり人と人の感謝の心ではないでしょうか?
去年の夏、両親が日本に来て私の大学、宿舎、アルバイト先を見せました。やはり観光よりも私の生活環境を見たいと母親に頼まれました。母親は、日本以外、教育、政治、人々も信頼できる国はないと、だから安心して留学に行かせたと言いました。やはり子どもが外国に行くと一番心配するのは母親です。そんな母親を安心させたのは、やはり台湾と日本の間の強い絆だと思います。台湾と日本の強い絆に感謝します。
つながり
神戸大学 ディアンKヌルプトラ(インドネシア)
私は、神戸大学医学部で勉強しているディアンといいます。ジャワ人です。 日本人とインドネシア人の似ているところと違うところが日本に来て少し分かりました。
8歳の時、テレビでドラえもんのアニメをよく見ていました。ロボット、新幹線、美しい桜、神社やお城を目を丸くして見ていました。でもあの時日本がどんな国か全然知りませんでした。
10歳の時、運命的なことがありました。父の勧めで合気道を習いにいった時、日本人の先生に会いました。この先生が私の家に来た時、お邪魔します、と言って靴を脱いで綺麗に並べました。ジャワ人はしないので不思議に思いました。次に部屋に入る前に座らず立ったままです。驚いた父が、どうぞお座り下さいと言うと、失礼しますと言って座りました。素晴らしい礼儀だと思いました。私はその時、日本の礼儀を初めて見ました。この先生から、礼儀、武士道の精神、絆の大切さを学びました。この時から私の見方と考え方が変わりました。日本へ行きたいという気持ちがもっと強くなりました。
私が27歳の時、チャンスがやってきました。ある時私は、ハンディキャップのある子どもを助けるために研究していました。その時に日本に留学できるコースがあることを知りました。チャンスです。私は興奮しながら、勉強してテストを受けました。一年後、浴衣を着て、花火を見ている私が神戸の町にいました。夢のようです。奇跡です。大学や神戸の町で一緒に頑張りましょうと強く歓迎されている絆を何度も感じました。日本に来て良かったと思いました
。
私は大学で研究していますが、音楽が好きです。大学の休みの時は、国際交流でインドネシアの民族楽器アンクルンを日本の皆さんに紹介しています。アンクルンは、竹の楽器です。一人が一つの音を持ちます。ドの人は、ドだけです。皆で演奏して一つの曲ができます。演奏すると皆の気持ちが一つになります。これはインドネシア人の絆の精神です。いろいろな日本の曲も演奏しています。日本の曲では、森山直太朗の「さくら」の曲が一番好きです。くじけそうになりかけても頑張れる気がした、この歌は日本人の前向きな気持ちと諦めないで努力する精神が歌われます。
インドネシアのジャワ人は諦めが早いです。努力も少しです。でもこれは昔の話で、今は日本人を見習っています。日本人にはダルマ精神があります。何回失敗しても皆が支えて頑張って立ち上がることができます。3月の東日本大震災で、冷静なこととボランティア活動には感心しました。また、なでしこジャパンの強い絆で最後まで諦めない姿は、世界の人に感動を与え、世界のモデルになりました。
でも少し心配なことがあります。この素晴らしい礼儀と伝統を若い人は守っているのでしょうか。多くの若い人は守っていますが、守っていない人もたくさんいます。例えば電車の中で高齢の人や体の不自由な人を見て、眠ったり目をそらす人もいます。でも心配しないで下さい。ジャワも同じです。世界の人が認めている日本の礼儀や絆を、日本の若者が引き継いでほしいと思います。私のインドネシアのジャワの子どもに教えていきたいと思います。
「おはようございます」「一緒に頑張りましょう」「お疲れ様でした」この言葉を聞く時、日本に来て良かった、幸せだなと思います。いつまでもこの素晴らしい礼儀と絆の精神を大切にする国であってほしいです。